探し物は探すもの?
- Hirose
- 2019年1月3日
- 読了時間: 2分
現代の情報社会において、知らないことなんて、
インターネットで調べてしまうだけでも、ほとんどのことを知ることができる。
これはこういうこと。
頭では理解することは読解力さえあれば容易だが、
その情報に対しての実感や臨場感、感覚、
本当にそれが起きるとはどういうことかを学ぶことはできない。
だから、現実的に感じよう、どういうことかやってみよう、探そう、
と思って挑戦してみるも結果がともわないことや実感を得られないまま
知ってはいるができない状態になることがほとんど。
そのことについてぼくの感じたこと。
特に僕が感じやすいのは
治療のなかでの感覚や
日常での出来事での疑問点
人間関係の問題の改善方法
そういった感覚的な目に見えない要素のほうがそのことを感じやすいのですが、、、
『探すと本物は見つからない。』
なぜなら探し始めた瞬間に、
こういうもの、ここにあるものという枠のなかで探してしまうから。
本来、そういったものを見つけてくれて、広めてくれてる人たちは、
何もない、とてつもない感覚と知識、膨大な経験のもと見つけ出しているから。
全くプロセスが違うわけなんですよね。
しかし、じゃあ情報をあたまに入れること、知識を増やしていくことは、
あたまでっかちになってしまい、探すことになってしまうから
知らないままにしたほうが良いのか?
どう思いますか?
ここに答えはないです。人それぞれ能力も入れられる知識量も違うので。
ちなみに、
その人にとって、本当に必要なこと、学ぶべきことが起こるとき
それは、たとえ情報を知っていても
必死に探しているとき、本質、本物に出会えるものではないと思います。
もちろん、その過程は必要ですが、
忘れた頃に、これかーーーーーーーーー!!!!!!!
というリアル、感覚、現実、体験が起こります。
それから知識という順番になるかと思います。
おそらく、、、ここはただの体験談なのでこれは一意見として。笑
ほんと枠のない、まっさらなとこから、そのたった一点を見つけるので。